大きい声では言えないけど

実は、実は、今の私の生活は、とっても幸せなんだと思う。

実は実は充実していて、満足できる状況なんだと思う。

十分な収入とは言えないけど、夫婦二人合わせれば旅行や外食くらいはできるし、必要なものは買える。ちょっと高いかな、と言うものも買えないこともない。

仕事は今までの経験がやっと実を結んで、かなり楽に、時間の余裕もできつつ、収入もキープできている。

家も3年前に町家を購入しリフォーム。もともと町家だけど中は近代的、というのが理想だったし、デザインも自分でできたので居心地のいい家である。子供たちも含め、みんなで作り上げた家なのでみんなで大切に生活ができている。

 

子供もまっすぐに、変に大人ぶることもなく、素直に、真面目に育ってくれている。中学高校になっても「大好き」と言って抱きついてくれる。いないと寂しい、と言ってくれる。料理が美味しいと言ってくれる。一緒に映画に行ったり遊んだりもして楽しい。

夫も愛情表現をしっかりしてくれるし、家事も仕事もちゃんとしている。

 

どこに不満要素があると言うのだろう。

 

もちろん、収入だってもっとあればいい。かもしれない。今の収入じゃあ子供たちを私立の学校に入れるなんて無理だし、塾にだって行かせられない。留学なんてとんでもない。私の周りには子供たちを全員、ボーディングスクールに入れた、とか芸術系の私立大学に行かせるために下宿させている、とか普通のようにいるけど、そんなの無理。

でも大学は国立という選択肢があるし、塾は人間的な生活を奪ってしまう可能性もあるし、留学だって今は文科省が推進している奨学金制度もある。そこにお金をかけるより、家族で旅行したり美味しいもの食べたり、楽しい時間を過ごす方に使ったほうが有効だと思うし、それくらいのお金はあるから(ヨーロッパ旅行とかハワイ旅行は無理だけど)、問題ないかなと思う。

 

家も予算が足りなかったから直せなかったところもいろいろあるけど、それも含めて愛しい、と思う。それが私たちの現実の力だし、それを認めないと前に進めない。2階は寒くてたまらない、とかあるけど、そのおかげで床暖のあるリビングにみんなが集まってゴロゴロできるわけで、それも幸せだと思う。

 

もっと働けば働けるけど、そこで余裕がなくなって日々の生活が汲々になってしまうと本末転倒だしな、と思うのだな。日々が私を構成し、人生を豊かにするんだと思う。何年後のために、と今を犠牲にして心を疲れさせると、結局それは取り戻せなくなるかもしれない。特に子供たち、この成長期の多感な時にそれを抑え込んで、「将来のため」と今を犠牲にしたら、それがこの子達を形成してしまう。

「楽しい、愛されている、満たされている」で、この子達を作り上げたいと思う。

 

そしてその子供たちの成長を見ると、自分は成長しているのかと悶々としてしまうけど、それを解消するためにも自分にもしっかり投資したい。子供のためだけにお金を使うのではなく、親も成長するために、人生を生きるために、時間とお金を使うのだと子供たちに見てほしい。親は子供のために生きるのではなく、子供と共に生きているのである、楽しむために。

 

とかなんとか、えぇえぇ、不満がないわけでない。でもそんなの大したことじゃない。それよりも、そのせいでいいように転んでいるところがたくさんあるわけだから、やっぱり私は幸せだと思う。

若い時は辛いことがたくさんあったけど、本当に人生、そういうバランスはとれるようになっているのかもな。なんて思う今日この頃。