思い出したくないこと

今の生活を基準に考えると、いかに子ども時代が異常だったのかということに気づく。

今で言う「毒親」ではなかったにしろ、環境的には意図せずして、または時代がそうだったのか、あまりよろしくない環境だったなぁ、と思う。

同じ時代の他の家庭がどうであったのかわからないので比較ができないが、田舎育ちの私と都会育ちの夫では、同い年でも生活環境が全く異なる。

夫は長男で小学生から塾に通い、私立の中高一貫校に通い、私立の有名大学へと進学、お母さんはほぼ専業主婦、お父さんは銀行員。片や私は末っ子で、周りに塾に行っていた子もいないし、ずっと公立。大学も「関東関西私立ダメ、浪人ダメ」という条件で、でも行かないといけない、と言われ、地方の国立大学へ進学。でも高校の時に担任に「お前の家庭学習時間は全高一少ない」と言われ、(あ、本当は0分で、さすがに書けないと思ってちょっと20分、とか書いたんだけど…)てなくらい、ほとんど勉強していなかった。当然宿題もしない。部活動のために学校に行っていた感じ。

親は自営業で、家を出た兄姉の仕送りに追われて365日休みなく働いていた。当然一緒にお出かけなんてないし、中学生で一時期自営していたパチンコ屋のカウンター業務をさせられていた。

今になって考えれば、ありえないよねー。中学生にパチンコ屋のカウンターさせるなんて。

でもまだ昭和だったし、屋内でバンバンタバコも吸えちゃうような時代だったし、兄姉にお金がかかったし、しょうがなかったんだろうけど。

そんなもんと思って受け入れていたけど、その頃から家族とうまく行かなくなってきていたので、やっぱり影響が大きかったんだろうな、と思う。

今の私と夫の働き方じゃあ、子供たち(たった二人でも)を家から出して、大学に行かせて仕送り払う、なんてできないと思うけど、うちはもっと数が多かったからそれに頭がいっぱいだったんだろうな、親も。と気持ちはわからないでもないが、私はその犠牲になったなーとも思う。

それからずっと家族との関係に苦しんで、今では兄弟たちとは顔を合わすことはないし、母ともほぼ連絡を取らない。父が生きていたらまた関係が変わっていたかもしれないけど。

 

あー、やっぱりこう言うことを思い出すだけでしんどい。

今、ちょっとネガティブ思考になっているから、こういうことを思い出してしまったのかな。あたまがいたくなってきた。

やめやめ。

 

リラックスの仕方

私はうつ病になる程ではないが、ストレスを感じやすく、ストレスがたまると頭痛や不眠に悩まされる。出産前までずっと薬を飲んでいて妊娠中も欠かせなかった。しかし出産と同時にその頭痛から解放された。子供たちが小さい時はほとんど頭痛も起こらず、穏やかな日々ではない時もあったが、頭痛という形で現れることは少なくなった。

 

思えば高校、大学時代はストレスが胃痛として現れていた。腸が捻れているんじゃないか、胃に穴が空いているんじゃないかと思われるほどの激痛でのたうち回っていた。でも胃カメラで調べても穴は発見できず。まぁ、そこまでではなかったのだろうが、痛いことには変わらない。しかし30代になって胃痛から頭痛へと移行した。

 

睡眠薬を飲むことで不眠は解消されるが、頭痛はなかなか薬では治らない。緊張型、というものだからいかにリラックスさせるか、という問題で、リラックスって簡単そうで簡単じゃあないのだな、これが。基本的に考えすぎる性質だから、これを考えるな、と言われてもなかなかできない。傷つくな、と言われても傷ついてしまう。

 

とは言っても最近は富に症状が出なくなった。とりあえずお守りのように薬は常備してあるし、睡眠導入剤は毎日のように飲むようにしている。しっかり寝られるだけで体調はかなり違うから。

でもちょっとくよくよと考えることがあったりすると顔を出し、一度出るとなかなか引っ込まない。できるだけ肩の力を抜く運動や考えないようにドラマを見たりするが、難しい。

 

ここ数週間かまた再発して苦しかった。でも昨日と一昨日は出なかった。今朝はちょっとするかな、という感じ。

一昨日は家族で久しぶりの遠出をして奈良の吉野まで行き秘仏を拝んできた。期せずしてその金峯山寺には「脳天大神」という頭脳の神様が祀られていて、首から上の悩み事を聞いてくださるそうな。450段という階段を昇り降りして筋肉痛になったけど、学業成就、頭痛解消、ボケ防止…と拝んできた。

 

ま、そのおかげではないが、おとついと昨日は調子が良かった。

久しぶりに家族一緒に休暇を満喫して、皆が笑顔で、冗談を言いながら過ごし、「楽しかった、また次は春に来よう」と話し合い、体も程よく疲れ、薬無しでぐっすり眠れた。

 

今回の頭痛のぶり返しの原因は大体わかっている。

夫の激務のせいだ。仕事が忙しいと、彼だけではなく家族皆が余裕がなくなる。特に家事が増える、とかそういうことはなくても、気持ちが窮屈になる。話したいことも話せない。お互い優しくなくなる。早く転職するなりして欲しい、と切に思う。こんな状態で何年過ごすつもりなんだろうと不安になる。

 

仕事のピークを過ぎたようで先週は早く帰って久しぶりに皆で晩御飯が食べられるようになって、ゆっくりした時間を過ごすと家族全員がリラックスしているのがわかる。

 

将来も大事だけど今も大事。こんな生活が続いて体調を崩したら、結局将来も無くなってしまう。子供たちとこうやって一緒に過ごせる時間も限られているのに、その時間を犠牲にして何が残るのだろう。

 

私の体調のためにも、マジ転職して欲しいわー。

 

大きい声では言えないけど

実は、実は、今の私の生活は、とっても幸せなんだと思う。

実は実は充実していて、満足できる状況なんだと思う。

十分な収入とは言えないけど、夫婦二人合わせれば旅行や外食くらいはできるし、必要なものは買える。ちょっと高いかな、と言うものも買えないこともない。

仕事は今までの経験がやっと実を結んで、かなり楽に、時間の余裕もできつつ、収入もキープできている。

家も3年前に町家を購入しリフォーム。もともと町家だけど中は近代的、というのが理想だったし、デザインも自分でできたので居心地のいい家である。子供たちも含め、みんなで作り上げた家なのでみんなで大切に生活ができている。

 

子供もまっすぐに、変に大人ぶることもなく、素直に、真面目に育ってくれている。中学高校になっても「大好き」と言って抱きついてくれる。いないと寂しい、と言ってくれる。料理が美味しいと言ってくれる。一緒に映画に行ったり遊んだりもして楽しい。

夫も愛情表現をしっかりしてくれるし、家事も仕事もちゃんとしている。

 

どこに不満要素があると言うのだろう。

 

もちろん、収入だってもっとあればいい。かもしれない。今の収入じゃあ子供たちを私立の学校に入れるなんて無理だし、塾にだって行かせられない。留学なんてとんでもない。私の周りには子供たちを全員、ボーディングスクールに入れた、とか芸術系の私立大学に行かせるために下宿させている、とか普通のようにいるけど、そんなの無理。

でも大学は国立という選択肢があるし、塾は人間的な生活を奪ってしまう可能性もあるし、留学だって今は文科省が推進している奨学金制度もある。そこにお金をかけるより、家族で旅行したり美味しいもの食べたり、楽しい時間を過ごす方に使ったほうが有効だと思うし、それくらいのお金はあるから(ヨーロッパ旅行とかハワイ旅行は無理だけど)、問題ないかなと思う。

 

家も予算が足りなかったから直せなかったところもいろいろあるけど、それも含めて愛しい、と思う。それが私たちの現実の力だし、それを認めないと前に進めない。2階は寒くてたまらない、とかあるけど、そのおかげで床暖のあるリビングにみんなが集まってゴロゴロできるわけで、それも幸せだと思う。

 

もっと働けば働けるけど、そこで余裕がなくなって日々の生活が汲々になってしまうと本末転倒だしな、と思うのだな。日々が私を構成し、人生を豊かにするんだと思う。何年後のために、と今を犠牲にして心を疲れさせると、結局それは取り戻せなくなるかもしれない。特に子供たち、この成長期の多感な時にそれを抑え込んで、「将来のため」と今を犠牲にしたら、それがこの子達を形成してしまう。

「楽しい、愛されている、満たされている」で、この子達を作り上げたいと思う。

 

そしてその子供たちの成長を見ると、自分は成長しているのかと悶々としてしまうけど、それを解消するためにも自分にもしっかり投資したい。子供のためだけにお金を使うのではなく、親も成長するために、人生を生きるために、時間とお金を使うのだと子供たちに見てほしい。親は子供のために生きるのではなく、子供と共に生きているのである、楽しむために。

 

とかなんとか、えぇえぇ、不満がないわけでない。でもそんなの大したことじゃない。それよりも、そのせいでいいように転んでいるところがたくさんあるわけだから、やっぱり私は幸せだと思う。

若い時は辛いことがたくさんあったけど、本当に人生、そういうバランスはとれるようになっているのかもな。なんて思う今日この頃。

朝食

朝からご飯粒を食べるのは重い。おかずも必要だし。

なんせ重い。だから食べない。

 

パンは好き。だけど、軽い。それにトーストとバターと紅茶、となると栄養バランスも悪いし。

 

というわけで、私にとってはシリアル系が一番体に合っているので、もう何十年もこれ。

最初はコーンフレークだった。まだそれくらいしか日本にはなかったのだ。

それが大学時代に初めて訪れたドイツで、ミューズリーグラノーラの存在を知ることに。しかもそこに牛乳に加えてヨーグルトをかけて食べると言う衝撃の食べ方を知り虜になった。ヨーグルトと牛乳を混ぜるなんて発想は全くなかった。衝撃ズキュン。

 

そこに、ケロッグオールブランが登場。

今ではこれがないと私のトイレ生活は不安でしょうがない。

高級品になってしまったけど、どうにかこうにか安いところを探し出しては購入。今はAmazonで定期購入している。

 

ミューズリーは消化し切れず、連続して食べていると胃が疲れてしまい胃痛を起こすと言うことが分かってから食べなくなった。

グラノーラオールブランを合わせて、ヨーグルトと牛乳、時にはバナナを入れて食べるのが定番だ。

しかし、日本のグラノーラカルビーとかが出している)は食べない。あれはグラノーラじゃない!スナック。おかし。かなり不健康な。裏の原材料を見るとゲンナリする。

 

以前はドイツやスイスのグラノーラが手頃な値段な手に入ったが今はかなり高価になってしまった。スイスのAlpenとかお気に入りだったがもう買えない。

と言うわけで最近は自家製。実はグラノーラは超簡単。

オートミールと全粒粉とナッツとオリーブオイルとアガベシロップを混ぜてオーブンで焼いて、乾燥させたらドライフルーツを入れて終わり。

ナッツミックスのオーガニックはちょっと高すぎて買えないのだが、それ以外は全てオーガニックで簡単にできちゃう。

しかもおいしい。自分で言うのもなんだがおいしい。売れるんじゃないかと思うほどおいしい。誰か買わないかしら。

これに自家製のヨーグルトと牛乳をかけて食べる。

ヨーグルトは以前は購入していたけど、プラスチックごみが毎回出るのがいやで、甘酒も作れるしと思ってヨーグルトメーカーを購入。今は毎回1Lの牛乳パックのまま作る。牛乳は、最近イオンが売り出した?オーガニック牛乳を買ってみたらめちゃ美味しかった!でも高すぎるので割引になってたら買う程度。いや、でもあれはおいしい。

 

我が家は、朝は各人が好きなものを自分で準備して食べていく。

以前夫の実家に居候した時、朝ご飯を用意されて、毎朝ご飯にお味噌汁におかずにヨーグルトに、と出されて、ありがたい、本当にありがたいのだけど、拷問だった…。ごめんね、お義母さん…

 

 

株でクオリティーオブライフは上がるのか

楽天証券が国内の株式の売買の手数料を無料にしたので、ちょっとやってみようっと思って昨日買ってみたら、あっさり負けてる。

長い目で見ないといけませんなぁ。あまりつぶさに見ないようにしよう。精神的に悪い。

 

10月から仕事の環境が変わり午後出勤が多くなったのでかなり余裕がある。午前出勤で2時には家に帰った時より、午前をゆっくりする方が気持ち的にゆったり感が増す。

というのもきっと朝は弁当作りやら子供の送り出しやらゴミ出しやら、やることがいろいろあって、それに加えて自分の出勤準備もしないといけないから余裕がないのだな。

今は送り出すことだけに集中できるので、とーーーーーっても気が楽。

週に1日だけ午前の出勤があるけど、これも無くしてしまいたい衝動に駆られる…

 

ワークライフバランス、とっても大事。

 

夫は典型的な日本人気質?なので、朝から晩まで、残業代もつかないのに働いている。

なぜに転職しようとしないのか?なぜに体制を変えようと動かないのか?小さい会社なんだから声を上げれば良いじゃないか、なんて思ってしまうのだけど、ご無理ごもっとも、という感じ。そこにエネルギーは注がない。

私は全くもって正反対で、「これはおかしいんじゃない?」と思うとつい言ってしまう、というか言わずにおられないし、「この会社は変わらん」と思うとさっさと辞めてしまうタイプ。時間の無駄じゃね?石の上にも三年、とか、「へ??」「何言ってんの?」「おかしいもんはおかしいって声を上げようよ」というタイプ。

まぁ、だから会社員とか無理なわけで(苦笑

 

同じ時間に出勤する、というのも余り好きではなく、日々異なるスケジュールの方がいい。毎日同じルーティンを繰り返すというのがいやなのだな。

 

こういう性格の違う二人なので、「なんでこうしないの?」なんてことを言うとケンカになるので、何も言わない。「遅かったねー」「早く帰って子供と話せるようにしたいねー」くらいまでしか言えない。

いや、本当は言いたい!「そんなブラック企業、辞めてまえ〜〜〜!」「仕事探してみろやーーー!」

でもそんなことを言っても「もう歳だし」「きっとないよ」と動く前からネガティブな発言しか返ってこないから、これも私の精神状態に悪影響を及ぼすので深掘りしない。

 

いいもん、時間ができたら、私一人でふらふらするもん。夫は働いておればよい。それが君の望んでいることだろう??

 

株のことももちろん秘密。ま、利益出さないと言うに言えないけど。

子供の高校事情

高校一年になった子供は、いわゆる進学校に進んだ。

公立の中高一貫校だが、高校からも学生を受け入れミックスされる。

中学校の方もかなりの倍率で、小学校から塾通いをした子供たちが入ってくるわけだ。

で、高校では一年生の段階から「大学のオープンスクールに行け」やら、「某有名国立大学希望ならこれくらいは必要」とかなんとかかんとかで、模試の回数も土曜教室とかで勉強があったりと、(あれ?高校じゃなくて予備校に入れたんだっけ?)と錯覚してしまいそうだ。

 

学校自体は「自律」することを大事?必須?としていて、学生の意思に任せる部分はあり、イベント行事では自由にできてのびのびしているところはある。

子供もそういうところを全力で皆楽しむところがいいと、学校自体は気に入っているわけだが、なんせ「学ぶ」ことが「受験のため」すぎて、そういう「学びの遊び」がないように感じられる。

模試の成績、希望校の選定、希望校合格、というのが最終目標のようになって、「回り道」「寄り道」「道草」させてくれない。ような雰囲気。のような気がする。

 

ということを、他の保護者にちょっと漏らした時に「いいですね、塾に行かせなくても良いじゃないですか」という返答が。

 

あぁ、そうなのか。

親が求めているのもここなのか。

「高校時代のあのばかばかしさ」、「もどかしさ」といった余白部分を大事にしてはいけないのか。そこは無駄なのか?

 

私は高校時代に「無駄なこと」をしてほしいのにな。

 

先週、保護者進路説明会というのに参加したのだが、「最近の子は弱い」という言葉が出てきた。よく聞くけどさ、こうやって勉強勉強、成績成績、と追い立てて、余裕をなくさせているのは誰なのか、胸に手を当ててよく考えて欲しいものだ。

 

そんな、1年生から走らなくても良いよ〜中学校から来ている子たちは、小学校から走り続けているわけでしょ?

それは本当に適切な量なの?適切なバランスなの?心は満足しているの?いや、そういうこと、考えてる?考えたことある?

 

なんて言っても、きっと私は少数派なんだろうけど。

 

お菓子作り

久しぶりにケーキを焼いた。

 

もともとお菓子を作ることは好きな方だったが、めんどくささの方が勝ったので作ることはそれほどなく。しかしイギリス生活で必要に迫られ(甘いもの好きだけど、イギリスのものは甘すぎて)作るように。

イギリスでは結構作る人が普通に周りにいて、そこまでの特別感もなく、材料も安かったし、安心だし、おいしいし、ということで子供の情操教育も兼ねて一緒に作ったり。

 

日本に帰ってきて作ることも無くなっていたが、家を購入した時にできる限り大きいオーブンもつけたし、ブリティッシュベイクオフにもハマったし、ということで材料もぼちぼちと揃えはしていた。

 

で、子供の誕生日ということでスポンジケーキを焼いてデコレーション。

いちごとかは高いので、安いキウイでいいよね。

生クリームはちゃんとしたものを、安いスーパーロピアで購入。

まぁいえば、スポンジケーキに生クリームとキウイを挟んだだけだから、買うことを考えれば安いもん。

 

でも日本のケーキはちゃんとした生クリームを使ってないから、食べると気持ち悪くなることも多いし、贅沢といえば贅沢かしら。

 

きれいには作れないけど(そういうセンスはどうしても育たない)、おいしく、彼らの記憶に残ってくれたらいいな。

そういう記憶が彼らを強くしていくんじゃないかと思ったり。

 

とはいえ、もっと見栄え良く作りたいので、次回はもっとリサーチして作るぞ。